作家概要 Detail
豊後国岡藩士田近家の六男に生まれ、のち伊藤家の養子となる。名は幸猛、字は寛叔。鏡河はその号で、別号に環翠園、鏡湖などがある。荻生徂来の学風に傾倒しつつ学問を深め、安永五年、藩校由学館の開設にともないその教授に任ぜられる。のち、竹田らとともに『豊後国志』の編纂に参加した。 竹田が深い信頼を寄せる郷里の先輩であり、詩並びに書をよくした。